追悼 原子修先生
原子修先生が亡くなられた。思うにつけコロナの三年間は先生にとって切歯扼腕の時間だったことだろう。ようやく縄文文化がうねりとなって先生の詩的世界が大きく広がるチャンスに動くことを禁じられたのだから。
協会の重鎮であられた先生と知り合うきっかけは札幌日仏協会創設にさかのぼる。設置の準備で、詩人の橋本征子先生とお会いし小樽の繋がりで親しくお話しするうちに、征子先生のパートナーが原子先生でいらっしゃることを知り、北海道詩壇をリードするお二人にお付き合いいただけることになった。
お二人とも、日本の詩人の常として、大学などに職を確保されて創作にいそしまれていたが、そんな折、原子先生がいらした札幌大学に文化学部が新設され山口昌男さんが学部長として迎えられた。彼の招きで翌年今福龍太さんが教授で赴任したが、この二人の偉大な人類学者との出会いが大きな刺激となって原子先生の詩想にインスピレーションを与え、『原郷創造』に至る縄文詩群創作過程のトリガーを引いたのではと今にして思う。その後、わたしが事務局長、理事長を務めた時期には、征子先生を交えて三人でフランスとの交流で楽しい苦労を重ねた。フランスで編まれる日本詩のアンソロジーにお二人の詩が選ばれることが多く、その仏訳をめぐって意見を交したり、縄文詩劇のフランス上演実現の戦略について知恵を絞ったことが懐かしく思い出される。さらには、協会創立20周年を記念したピエール・クルチアードピアノコンサートで先生の自作朗読にピアニストが即興演奏で応えたデュオも忘れ難い。
北海道をまわると原子先生の詩碑がたくさん見つかる。ご本人も覚えていらっしゃらないほどだが、それは先生がいかに北海道を愛され、ご自身の詩の源泉となされたかの証左であろう。そしてそこからフランスをはじめとした世界に直接響く詩〈うた〉を生み出されたことは特筆に値する。あらためて先生の偉大な詩業に思いをはせながらご冥福をお祈りしたい。
(顧問 江口 修)