函館日仏協会の10月例会に参加して
理事長 加藤利器

函館は幕末の開港以来、欧米やロシア、中国など、海外に開かれた港町として発展してきました。フランスと日本の長い交流の歴史もここ、函館から始まったのです。
津軽海峡を望む西部地区。外国人墓地の近くにある日蓮宗・実行寺(じつぎょうじ)の境内には『日仏親善函館発祥記念碑』が建立されています。
1855年にフランス船が難破し、ときの箱館奉行が人道的な見地から同船の寄港、乗組員の上陸を許可、実行寺の住職らが全力で介抱に当たって祖国帰還に力を尽くした旨が書かれています。
この石碑の建立に奔走したのが、函館日仏協会でした。

道内には、わたしたち札幌日仏協会より歴史の古い函館日仏協会があるのを皆さんご存知でしょうか。函館はフランスに開かれた窓、文化を繋ぐ架け橋でした。その函館に道内初の日仏協会が誕生したのは、札幌より6年早い1983年5月のこと。フランス料理店の道内発祥である五島軒(1886年創業。建物は道内初の国登録文化財に指定)に事務局を置き、平成天皇・皇后(現在の上皇・上皇后)が滞在した歴史ある広間を会場に、月1回の例会を欠かさず開いてきたのです。函館の会員の皆様の熱い思いが伝わってきます。
現在の会長は五島軒の会長でもある若山直(わかやま・なお)さんです。若き頃、フランス中部の都市ヴィシーでコックの修行をし、フランス語はぺらぺら。函館きってのフランス通で知られています。

五島軒

わたしは、かつて北海道新聞の記者として函館に勤務した経験があり、若山会長はじめ、お父様(故若山徳次郎氏)にも取材させて頂きました。わたしが札幌日仏協会の理事長に就任したのを聞いて、「10月28日に開催する10月例会へぜひ」とご招待がありました。函館と札幌の両協会の交流は、これが初めてとのことで、喜んで参加させてもらいました。
当日は午後6時半から、さきほどお話しした由緒ある大広間で開会となり、まず冒頭の40分間を頂戴してミニ講演を行いました。
札幌日仏協会の活動状況やアリアンス・フランセーズの講座内容などについて説明した後、今年発刊した拙著『赤いテラスのカフェから~フランスとアイヌの人々をつなぐ思索の旅』の中から、フランス東部ブザンソンで発見された「夷酋列像(いしゅう・れつぞう」(蠣崎波響作)のミステリーについて話を続けました。
なぜ松前の秘宝ともいえるアイヌ指導者の連作肖像画(11枚)が海を超え、フランスの地方都市に渡ったのか。歴史好きの函館の皆様の関心は極めて高く、映像を交えた講演を熱心に聞いて下さいました。
この日の参加者は20人でしたが、会員の一人、立憲民主党の逢坂誠二さんも東京から駆け付けてくれました。わたしは若い頃の3年間、道新倶知安支局に勤務し、当時、ニセコ町役場に新人として入ってきた逢坂さんと知己を得ました。スキーを教えてもらったり、一緒にお茶を飲んだり、お酒を飲んだり…。まさに40年来の仲です。ニセコ町長を経て、いまや天下国家を論じる衆院議員となりましたが、わたしの講演のために(これはリップサービスです!)函館に戻ってきてくれた逢坂さんとの再会は、まさに日仏協会が取り持つ不思議な縁だと感じました。

左から若山会長、
加藤、逢坂誠二さん

また、例会では会員の皆さんが近況を報告する時間も設けられており、この日は、協会理事で画家の佐々木慶一さん(パリ国立高等美術学校に留学経験)が、クリムトを彷彿させる最新の作品について自ら解説し、話題を集めておりました。

佐々木慶一さん

例会の最後には、皆さんとの記念写真に収まりました。

函館日仏協会の会員と
記念写真

今回の交流を機に、今後とも函館日仏協会との関係を強化していければ幸いです。会員の皆様のご理解が得られるなら、来年以降、年間行事の中に位置づけるとともに、まずは返礼として若山会長を札幌にお招きして、函館の日仏交流の足跡についてお話し頂く機会をつくりたいと思います。
函館では年間12回の例会を開催しております。11月はボジョレーを飲む会、12月はクリスマス例会、1月はニューイヤー・コンサート(新年会)…と続きます。趣向を凝らした催しが次々と。手作り感が溢れ、楽しく、そして親密な会合です。
わたしたちも函館から学ぶことが多くあると強く感じて、札幌に戻りました。